1980年5月8日生まれ
韓国と日本で活動しているゲーム音楽屋。通称シルシル。
・1980年春
韓国の首都ソウルに生まれる。
・1987年頃
親が忙しくて一人に残される日々が多い子供が訪ねたゲーセンでゲームとピコピコ音に目覚め、生まれてから初めて日本語を見る。
・1990年頃
日本語が読めない勇者ああああ、すでに大魔王を10回以上倒した。
「つるぎ」「よろい」「たて」という非生活日本語3つを手に入れた。
モニターの中で生まれて初めて見た日本の女性に胸をときめいた。
「ヤメテ」「キモチイイ」「モット」という実生活日本語3つを手に入れた。
・1997年冬
初日本訪問の秋葉原の店で流れたのはSP○○Dの「White Love」とテイルズ○ブデスティニーのオープニング曲「夢であるように」だった。
有明に行った少年は最後尾(さいこうび)を最後屋(さいごや)と読んでいた。
・1998年冬
日本のゲームとアニメを周りに視線を気にせず楽しめるため日本語科を選んだ。
バイトで作った音楽のRPGがヒットし、いつのまにかプロデビュー作になった。
・2002年頃
ワールドカップなんかよりインターネット時代のおかげでbermei氏とinterface氏らを代表する様々な日本の友達に海を越えて出会う。
同人CDに一緒に収録された歌が茶太さんなのを後に知り「あさやけぼーだーらいん」への伏線になる。
日本の家は狭いというのはそうでもなかったことと辛いものも割と大丈夫ということを知った。
・2004年頃
少なくとも一年二回は飛行機を乗って東京を巡礼する人に。
様々な日本向け韓国産オンラインゲームの商業音楽制作に手掛ける。
・2006年頃
イギリスのアビーロードスタジオにてロンドンシンフォニーとの初収録を経験し、自分のレベルが低いのを体感し10年後自分の力でまた来るために、脱サラを決心。
・2009年
韓国数え「三十路入り」、日本数え「まだ20代です」の29.5歳
恋を失い、愛を取り戻す。
・2010年
hello、thirty。